諫早駅の改札を出ると、この街の全体像が見えた気がします。西九州新幹線、JR長崎本線・大村線、島原鉄道が集まり、駅前広場からバスが出る。ところが市役所へ向かえば本明川を越え、本諫早駅側まで進むことになります。市の西端では大村湾、南では橘湾、東では有明海が現れます。
諫早市は、中心から均等に広がる街ではありません。2005年に旧諫早市と多良見・森山・飯盛・高来・小長井の5町が合併し、現在も六地域の名で人口や窓口が整理されています。鉄道も道路も、六地域を同じ方法では結びません。諫早駅は市の玄関ですが、市内の用事を一地点へ集めた中心ではありません。
諫早駅は中心ではなく、三つの海へ分かれる「分岐点」
乗換駅の便利さと、市内で用事を済ませる便利さを分けます。
諫早駅から線路を追うと、街の形がよく分かります。JRは北西へ大村、南西へ長崎、東へ有明海沿岸を進みます。島原鉄道は本諫早、小野、森山を経て島原半島へ向かいます。新幹線は県内外の時間を縮めますが、日常の買い物や通院先まで自動的に近くするわけではありません。
市内のJR駅は、諫早・西諫早・喜々津・市布・東園・大草・東諫早・肥前長田・小江・湯江・長里・小長井。島原鉄道は諫早から諫早東高校まで8駅あります。駅数だけ見れば鉄道の街です。ただし、線路は本明川低地、大村湾岸、有明海岸に沿って延び、飯盛や各地域の山側を面で覆ってはいません。
一つの市が三つの海に面するため、同じ「海沿い」でも帰る方向が違います。多良見から長崎方面へ戻る日と、小長井から有明海沿いを戻る日では、使う線路も国道も別です。最寄りの大駅を一つ決めるより、平日の勤務先、休日の買い物、通院先を三本の矢印で地図へ置く方が、候補住所の性格がはっきりします。
本明川を渡ると、駅前と本諫早の役割が入れ替わる
新幹線駅から市役所までの間にある、もう一つの中心を読みます。
諫早駅周辺は広域交通の入口です。けれど、市役所は東小路町にあり、島原鉄道の本諫早駅が近い。駅前から中心市街地へ向かう途中には本明川が流れます。「諫早駅周辺」という一言の中に、新幹線・JRの駅前、本明川沿い、本諫早・市役所側という違う場所が含まれています。
このずれは不便の印ではありません。用途の違いです。県外・県内の広域移動は諫早駅、行政手続きや旧来の中心市街地は本諫早側、島原半島方面は島原鉄道や国道57号へつなぐ。候補住所から、どの入口までを徒歩・自転車・バスで担うかを決めます。
本明川は街の風景であると同時に、防災の境目です。諫早平野は長い干拓で広がり、1957年の大水害後には河川改修と市街地整備が進みました。現在の道だけを見て川を忘れず、駅、学校、市役所から自宅へ戻る橋と、増水時に使わない橋を分けます。本明川を渡る日常経路と、増水時に使う第二経路は別に持ちます。
多良見は長崎へ、森山は二つの海へ、飯盛は橘湾へ
西と南東を、同じ郊外としてまとめないための章です。
多良見は旧町名であるだけでなく、現在も支所を持つ生活地域です。JRは喜々津で線形が分かれ、市布側と東園・大草側から長崎方面へつながります。大村湾沿いの集落、国道34号沿い、高台の住宅地では、同じ喜々津圏でも駅までの坂と道が違います。
市の交通計画は、西諫早ニュータウンと喜々津シーサイドタウンをラストワンマイルの検討対象に挙げています。鉄道に近い住宅地でも、玄関から駅までの高低差、運転できない日の移動、高齢化による送迎負担が残るからです。「駅がある住宅地」と「駅へ歩いて戻れる住宅地」を同じにしません。
森山は北の有明海側を国道57号と島原鉄道、南の橘湾側を国道251号が通り、その間に丘陵があります。森山・釜ノ鼻・諫早東高校の3駅があっても、地域全体が線路側を向くわけではありません。北へ出る日と南へ下りる日で、同じ森山町内でも使う玄関が変わります。
飯盛はさらに明確で、鉄道駅がありません。橘湾沿いの国道251号、路線バス、車が生活の軸です。飯盛には駅がありません。森山・高来と同じ鉄道圏には置けません。森山の駅数を飯盛へまで広げず、田結を含む海岸側から、どの停留所と道路で戻るかを見ます。